象牙豆知識

保存上の注意

装身具については特別の注意はいりませんが、比較的大きな置物について「温度を急に変えるとヒビが入る事があります。」従来の日本の御家庭では先づヒビの入る心配はありませんが、冬の寒い時に室内をストープやスチームで温め暑くなり過ぎて、窓を開けて急に冷い外気を入れたりするとヒビが入ることがあります。

象牙を畳に置くと割れるとか、象牙を持って竹の林に入ると割れるとか言いますが、是は冬の畳は冷えているもの夏の竹林はヒヤリとするもの、つまり温度の急変が時に象牙にヒビが入る事を言ったものと思われます。象牙製品が汚れた時はぬるま湯で、プラシに石げんをつけて洗えばきれいになりますが、乾かす時は日陰乾にして、決して風で乾かしたり火の上で乾かしたりしない事が肝要です。

象牙の歴史

豊臣秀吉も象牙工芸の茶器を用いていました。

象牙工芸は、古く奈良時代から伝えられています。

象牙柿の木猿彫図印籠/江戸時代作(印籠美術館・所蔵)

●象牙柿の木猿彫図印籠/江戸時代作
(印籠美術館・所蔵)

日本へ象牙が伝わったのはいつ頃でしょう。すでに奈良時代(8世紀)には正倉院宝物の中の“紅牙撥鎮尺”などに象牙が含まれており、その頃には象牙が伝来していました。

この事実から、日本でも技法を学ぴ、櫛などを加工していたと思われます。
その後、安土桃山時代、茶道具などに多く用いられ、東南アジアや中国との交易が盛んになるにしたがい、技術的にも大きな発展を示しました。その中には豊臣秀吉が所蔵したと伝えられる“唐物茶入の紹鴎茄子”や、干利体が記した「利休百会記」などから種々の茶道具に象牙が用いられた様子が伺えます。

また、江戸時代初期には根付・印寵・櫛・簪などが日常の生活用品として一般化し、17世紀後半(元禄)から18世紀前半(文化・文政)頃にかけ、多くの象牙工芸品が武家・庶民に愛用されました。
その工芸技術は明治・大正時代に象牙彫刻として隆盛期をむかえ数多くの名工を生み出します。それらの工芸美術晶は海外へも多く輸出され、高い評価を得ています。長い年月に培われた、その卓越した伝統工芸技術は、芸術的彫刻品として世界的に認められ、現在へ受け継がれています。

※紅牙撥鎮尺(こうがばちるしゃく)…象牙を磨き、その表層を紅・紺・緑などの色で着色。
これに文様を「はつり彫り」して白との対比効果を意図した技法。この技法を用いた定規。

アフリカゾウとその保全

私たちの基本的立場

日本の象牙工芸の歴史は今から約350年前にさかのぼります。この長い歴史のなかで、日本の文化にとって不可欠の伝統産業となりました。たとえば、三味線の撥(ばち)や根付(ねつけ)は、象牙でなくては音色がうまく出なかったり、その味わいも半減します。これは、象牙が生きた材料だからです。

象牙産業にかかわっている、現代を生きる私たちは、こうした過去からの財産を将来の世代に受け渡していく責務をもっています。私たちが象牙を使った生業を続けていくには、象牙を作り出すゾウが将来にわたり絶滅することなく、生き長らえていくことが不可欠です。

私たち象牙業界は1985年にいち早くワシントン条約のもとでの象牙輸出割当て制度を支持し、この制度に協力してきました。しかし、その協力も空しく、89年のワシントン条約会議で象牙の国際取引が禁止されました。その後、99年に正規に50トンの象牙が南部アフリカから輸入されました。

私たちは、ゾウの絶滅には断固、反対します。ゾウが絶滅すれば、私たちの伝統工芸も消滅するからです。私たちは、原産国のアフリカ諸国と協力しながら、ゾウを守り、日本の伝統工芸を守っていきたいと思います。

アフリカゾウの実態

アフリカゾウは1995年の推定では、アフリカ全土で約60万頭が生息しているとされています。これを地域別にみると、中部アフリカが約22万5000頭、東部アフリカが約25万5000頭、南部アフリカが約22万8000頭、西部アフリカが約1万5000頭です。

アフリカは広大な大陸で、すべての地域で同じことが起こっているわけではありません。これらの地域でも南部アフリカ諸国(たとえば、南アフリカ、ボツワナ、ナミビア、ジンバブエ)は20世紀初頭に比べて、ゾウの数が非常に増加しています。南アフリカでは今から100年前、ゾウはたったの100頭あまりしかいませんでした。しかし、今では1万2000頭にまで増加しています。

もちろんアフリカには、ゾウの数のもともと少ない国や、密猟対策が不十分だったことから数が減少したところもあります。しかし、南部アフリカのいくつかの国のように、増え過ぎて、ほかの野生生物や植生に悪影響を与えたり、地域の住民と摩擦を起こしているとこともあります。

サステイナブル・ユースとは

サステイナブル・ユース Sustainable Useは日本語では「持続可能な利用」もしくは「持続的利用」と訳され、その意味は、「生物、生態系あるいはほかの再生可能な資源を再生能力の範囲内で利用することで、保全の一形態」です。つまり、銀行の預金の利子をあたる部分を利用し、元金には手をつけないという考え方です。この考え方は1992年にリオデジャネイロで開かれた地球サミットでも再確認され、国際自然保護連合(IUCN)やWWFなど多くの自然保護団体の目的のひとつとなっています。南部アフリカ諸国では、この考えにもとづき、ゾウをはじめとする野生生物の利用による利益の一部を地域住民と野生生物保護に還元しています。それにより、住民と野生生物の共存を実践しています。

地域に根ざした資源管理

野生生物を守るのは誰でしょうか。都会に住んでいる人たちでしょうか。それとも、現地で日常的に野生生物と競合しながらも、共存している人たちでしょうか。1992年にリオデジャネイロで開催された地球サミットや、そのほかの国際条約会議でも、地域に根ざした資源管理の重要性が指摘されています。つまり、その地域の人たちが率先して野生生物を守っていこうという気にさせることが重要です。

アフリカでいち早くこの考え方を実践したのがジンバブエです。ジンバブエでは、国立公園での野生生物の増加にともない、公園以外の地域にゾウなどが出没し、地域住民と大きな摩擦を起こしてきました。ゾウなどの野生生物が畑を荒らしたり、家を壊したり、極端な場合には、人も殺されるからです。そのために、法律でいくる規制を強化したとしても、住民は正当防衛として、それらの野生生物を殺してきました。

ジンバブエは、こうした住民と野生生物の摩擦を防ぐために、国立公園の入場料の一部を住民に還元することにしました。WINDFALLと呼ばれるプロジェクトです。しかし、これは結局失敗してしまいます。そうした経験に基づき、ジンバブエはCAMPFIREと呼ばれるプロジェクトを実行に移しました。WINDFALLが「お上」による一方的なプロジェクトであったのに対し、このCAMPFIREは野生生物の管理の責任を地域住民に託したのでした。また、野生生物の利用により得られた収益をどのように使うかにしても、地域住民が決定できることになりました。このプロジェクトの結果、経済的利益をもたらすものとして、住民は野生生物を価値あるものと見なして、積極的に保護するようになりました。地域の住民が受け入れることのできる、地域に根ざした資源管理は、新しい世紀を迎えての環境保全の処方箋だと期待されています。

象牙とワシントン条約

ワシントン条約は1975年に効力が発生しました。その時点で、アジアゾウは条約の附属書Ⅰに掲載されていました。附属書Ⅰの種は国際的な商業取引が禁止されています。アフリカゾウはどの附属書にも掲載されていませんでした。しかし、翌76年にガーナが附属書Ⅲに掲載し、翌77年附属書Ⅱに掲載されました。

日本は1980年に60番目の加盟国として、ワシントン条約に加わりました。80年に加盟したことで、アジアゾウの象牙の輸入は違法、アフリカゾウの象牙の輸入は原産国、再輸出国の許可証の発行が条件で、正規に輸入することができました。

その後89年のワシントン条約会議でアフリカゾウがそれまでの附属書Ⅱから附属書Ⅰに移行し、象牙の国際取引が禁止されました。89年の一律禁止を不服として南部アフリカ諸国は、97年にジンバブエで開催されたワシントン条約会議に提案を提出しました。議論の結果、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビアの3ヶ国のアフリカゾウが附属書Ⅱに戻りました。

この決定にともない、これら3ヶ国から99年春、日本に50トンの象牙が輸入されました。また、2000年のケニアでの条約会議では、南アフリカのゾウが附属書Ⅱに戻されています。つまり、現在、南部アフリカの4ヶ国のゾウが附属書Ⅱに置かれていることになります。

しかしながら、99年の輸入は1回限りの試験的なもので、現在は輸入することができません。輸入するためには、再度ワシントン条約会議での議論が必要となっています。なお、ワシントン条約は、国際取引に関する取り決めであり、日本国内で象牙の製品の製造、販売をおこなうことは条約上も、日本の法律上もまったく問題ありません。

MIKEとETIS

1997年にジンバブエで開かれた第10回ワシントン条約締約国会議において、ナミビア、ボツワナ、ジンバブエの3ヶ国のアフリカゾウが条約附属書ⅠからⅡにダウンリストされ、1999年春、日本に1回かぎりではありましたが、象牙が50トン輸入されました。ダウンリストされたときの条件がMIKEとETISという制度を実行させることでした。これは、ダウンリストにともなう象牙の取引により、密猟や密輸が増加するのではないかとの懸念に配慮したためです。つまり、MIKEとETISによりゾウの生息国での密猟、密輸をモニタリングしようというものです。

MIKE(Monitoring Illegal Killing of Elephants)とは「ゾウ密猟モニタリング」のことで、アフリカとアジアのゾウ生息域を対象としたのものです。すべて地域、すべてのゾウを対象に調査することは不可能であることから、調査対象地点を選択し、そこで密猟の程度と傾向、ゾウの頭数、密猟取締りについてモニターすることにしています。すでに南部アフリカや西アフリカではこのプロジェクトが開始しています。ETISとともにプロジェクトを進めていくためには、多額の経費を必要としており、このためJIAでは資金協力をおこないました。モニタリングの結果は、各国ごとに報告書としてまとめられ、ワシントン条約事務局に提出されることになっています。

ETIS(Elephant Trade Information System)とは「ゾウ取引情報システム」のことです。象牙等の押収や没収に関するデータベースを作成し、違法取引の程度と傾向を記録し、分析することを目的としています。押収や没収があった場合のその国が事務局に対して90日以内にその情報を提供することになっています。ワシントン条約の監視団体であるTRAFFICがデータを分析し、締約国会議で詳細な報告をおこなうことになっています。

象牙の国内管理体制

ワシントン条約では、条約の対象となっているものについては、輸入時の税関でのチェック(いわゆる水際規制)以上のことを求めていません。しかし、日本政府は、アフリカゾウがとくに注意の必要のある種であり、国際的な懸念に考慮して、国内の取引規制を導入しました。これは環境省の「絶滅のおぞれのある野生動植物の種の保存に関する法律」に基づくもので、象牙を売却・譲渡しようとする場合は、象牙を1本、1本登録することが義務づけられています。原形を留めたものに限らず、切断した象牙についても、台帳記載などが義務づけられています。また、印鑑については、正規の象牙からの製品であることを証する政府認定シールを貼付することができます。なお、日本の国内管理体制は、ワシントン条約の事務局、同条約常設委員会によって、適切なものとして高く評価されています。

アフリカゾウの保全への貢献

私たち業界は、1985年以来、条約会議で決定したワシントン条約事務局象牙部門に資金拠出するなど、多くの努力を払ってきました。最近では、97年に設置決定したMIKE(ゾウ密猟モニタリング)というプロジェクトを資金的にも支援しています。また、ワシントン条約や国内の法律を遵守するよう、組合員に周知徹底させています。しかし、私たち職人のできることは何と言っても、私たちの生業の原材料である象牙を慈しみ、いい作品を作ることです。日本の伝統工芸の火を絶やさないためにも、日々研鑚に励む所存です。